【留学2週目】北京での新鮮な日々

東昇大廈
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【留学7日目】3月2日 日系スーパーに買い出しに行く

親戚からメールが届く

日本にいる親戚からメールが届いた。

・日本人の友達と会わないで、早く中国語をマスターすること
・人の親切をナイーブに信じないこと
・北京の水を飲まないこと

ギクッ!!

遠くから私のことを見透かされているようだ。甘えがちだった自分を戒めるメールだった。

17号楼の売店でのできごと

会議中心の売店

寮の1階に売店があり、店員が数人いるのだが、英語が通じる人は一人しかいない。

時間によっている人が異なるため、英語が通じない場合は、身振り手振りでコミュニケーションを取るしかない。

携帯のSIMカードにチャージをしたいと思って売店に行ったのだが、あいにく英語が通じる店員がいなかった。

中国語しか通じない店員を相手に四苦八苦していたら、状況を察した韓国人の学生が手助けをしてくれた。

やるじゃん。

一人の行動が、国全体のイメージをアップさせる。自分の行動も気をつけないと。

「寮の手引」をめぐって

スーツケース

寮に入ったものの、施設をどのように使うのかについて、何の説明もない。ゴミや洗濯、ルームサービスも、自分で受付に行って聞くしかない。

今日部屋にいたら、中国語しかできない受付の人が来て、べらべらしゃべってくる。

雰囲気から察するに、紙に書いてある備品が全部揃っていたら、サインをしてくれということらしい。

その紙には、「寮の手引」みたいな中国語が書かれていたのだが、もらった記憶がない。

私は、そのことを彼女に伝えようとしたが、「気にしない気にしない」といった感じで押し切られてしまい、しぶしぶ紙にサインした。

今思えば、身振り手振りで、英語が通じるフロントに行って話そうと言えば良かったのかもしれない。

言葉ができないと何かと不自由だ。

(追記:寮の退居時に、この「寮の手引」をなくしたとして罰金を取られた話は後述。)

日系スーパーへの小旅行

志新路

明日、初日にお世話になった北京のおじさんの家に遊びに行くことになった。

また菓子折を持って行くと気を遣わせてしまうだろう。小さな女の子がいたので、折り紙を折って持っていくことにした。

まずは、折り紙を調達しなければならない。

五道口のスーパーには置いていないので、電車を乗り継いで日系の大型スーパーに行くことにした。

ちょっとした小旅行だ。

五道口駅に着いたものの、電車の乗り方がわからない。

切符売場のお姉さんのところに行き、iPadの手書きアプリに行き先を書いて見せると、進む方向を教えてくれた。

迷いつつホームに上がり、待つこと数分。

電車が来た。

どっと人が降りてくる。

人が降り終わってから電車に乗ろうと思い、最後の人が出終わってから電車に乗ろうとした瞬間、私の目の前でドアが閉まった。

中国で乗ろうとした初めての電車は、乗れないどころか、身体の一部を挟みかけて終わった。

日本では、降りる人が出終わってから電車に乗るのがマナーとされているが、中国では、人が降りるのを待たず、電車の中に突進していなければならないようだ。

次は無事に乗り込めるだろうか。ドキドキしながら次の電車を待った。長縄の団体競技で、自分の番を待っているような気分だ。

待つこと数分。大きな音を立てて電車がホームに入ってきた。

ドアが閉まる前に急いで乗り込み、ほっと一息。

その後も見よう見まねで、何とか電車を乗り換えた。

反日感情が強まっている中国で、中国語が全くできない日本人が一人旅。しかも、現地の人が着けないようなN95のごついマスクをしている。

何かあったらどうしようかとドキドキした。

中国人のおばさんに何か尋ねられたが、無愛想な青年を装った。


北京にあるイオン

駅を降りると、巨大なイオンが目に入ってきた。色も作りも日本にそっくりだ。

一瞬、日本に戻ったような気分になった。

ただ、それは一瞬に過ぎなかった。

正面入口の横で、母親らしき人が、3、4歳の子供に立ち小便をさせているのが目に入ったからだ。

「えっ!」と思ったものの、何も見なかったふりをして中に入った。

イオンの中は、日本のイオンと作りが大体同じだ。

店内では、マスクを着けた自分が一人だけ浮いていた。

店内は賑わっていたが、日本人とおぼしき人は数人見かけただけだった。反日感情が影響しているのだろうか。

かわいい女の子が親しそうに笑いかけてくるので、笑い返したら、お母さんの所に走っていって、耳元で何やらこそこそ話している。

日本でも中国でも子供は同じだ。「変なおじさんがいる」と言っているのだろうか。


イオンに折り紙が置いてある確率は5割で、徒労に終わる確率が5割と踏んでいたのだが、文房具売場に行くと、折り紙が数種類置いてあった。

はるばる来た甲斐があったというものだ。

そう思って折り紙のパッケージを見た瞬間、思わず笑ってしまった。

折り紙の表紙には、折り紙で作ったカラフルな星の写真がデカデカと写っているのだが、その見本は、一部はめくれ、端は合っておらず、全体がねじれており、幼稚園生が作ったのかと思うほどの雑さだった。

これはないよねと笑いながら、標準サイズの折り紙と、少し小ぶりなサイズの折り紙を買った。

小さい頃、ダイエーで買った折り紙が正方形ではなく、角が合わずにイライラしたことを思い出す。

紙を正方形に裁断するのも高度な技術が必要なのだ。

中身がしっかりしていることを祈ろう。


朝食を食べていなかったので、お腹が空いてたまらない。

イオンの1階にある日本食コーナーは充実していたが、どこも人で一杯だった。

2階の飲食街でラーメンを食べようと思い、現地の人がどのように買っているのかを立ち止まってじっと観察する。

料理を頼んでお金を支払うだけなら何とかなると思ったが、注文後、店員が番号を読み上げる仕組みのようだった。

ニーハオしか言えない私は、数字の理解がゼロだ。あきらめて帰ることにした。

何か悔しい。


イオンの外では、露天商が串焼きを売っていた。

露天は衛生上問題があると聞いているが、お腹が空いて仕方がない。

ええいままよ。思い切って串焼きを買って食べる。

食べ終わって串が残る。

日本なら、近くにゴミ袋か青いゴミ箱があり、そこにゴミを入れるシーンだ。キョロキョロと辺りを見渡すものの、どこにもゴミ箱が見当たらない。

困ったな。串を捨てる場所がない。

駅に戻ろうと視線を動かすと、露天から駅までの約100メートルの間、道路横の植え込みに、膨大な量の串が、地面が見えないほどぎっしりと捨ててあった。

一体何年分なんだろう?!

昔、ドラえもんで、アイスクリームの棒を集めていかだを作る話があったが、この量だったら余裕でいかだが作れるだろう。

「郷には入れば郷に従え」

都合良く自分に言い聞かせて、植え込みの中にそっと串を捨てて帰った。初のポイ捨てかもしれない。

シンガポールとの差は、法制度の違いだけではない気がする。

寮に戻ってくると、どっと疲れが出てきた。長い旅だった。

折り紙に始まり折り紙に終わる一日

折り紙で作ったくす玉

北京に来てから最初の土曜日だったが、折り紙を買いに行き、帰ってから折り紙を折っていたら一日が過ぎた。

のび太君のあやとりではないが、私は小さい頃から折り紙が得意だ。

・・・と思い続けていたのだが、20数年ぶりに折り紙を折ってみたところ、指先が全然動かない。

折り紙の表紙の写真が、雑だ、幼稚園生並だと言っていた自分が恥ずかしい。

最初は、千羽鶴サイズの小さな折り紙で「くす玉」を作り始めたのだが、角がきれいにそろわず、途中であきらめた。

折り紙で作ったくす玉

大きい紙で一から作り直す。

日本で読んだ本には、中国人へのお土産で迷ったときには、大きくて派手目のものの方が好まれると書いてあった。

大きい方がきっといいのだ。そう自分に言い聞かせる。

同室のマレーシア人が帰ってきて、不思議そうにこちらを見ている。

大量の折り紙が散らばった机の前で、必死の形相でに折り紙を折っている私はどう写っているのだろうか。

日が傾き始めた頃、私の机の上には正十二面体が2つ、小さな正六面体が1つ並んでいた。

折り紙で作ったくす玉

20年ぶりに作ったが、「くす玉」は20年前と変わらずきれいだ。鶴よりもずっといい。

金と銀の紙が余ったので、手裏剣を作って折り紙作業を終えた。明日、喜んでもらえるといいな。

できれば、簡単な箱の作り方でも教えてあげようと思っている。

【留学8日目】3月3日 知り合いの家に遊びに行く

北京の知り合いの家に遊びに行く

初日にお世話になった北京のおじさんから昼食に招待されたので、ご馳走になってきた。

手土産に、折り紙で作った「くす玉」を持って行ったのだが、女の子が予想以上に喜んでくれたので嬉しかった。

だまし船も作って持って行ったのだが、女の子はだまし船の仕組みを知っており、母親の所に行って、ここを持って持ってと言っていた。

新聞紙で兜を作ってあげると、とてもはしゃいでいた。

しばらく遊んだ後、食事になった。おばあちゃんが、餃子やパイコーローをはじめ、様々なおいしい料理を作ってくれている。北京にきてから、ここで食べる料理が一番おいしい。

何から何までお世話になっている。本当にありがたい。

【留学9日目】3月4日 北京語言大学の授業が開始する

授業開始

北京語言大学教3楼の教室

本格的に授業が始まった。発音の授業が中心だ。

私は初級クラスの中でも一番初歩のクラスにいるのだが、明後日までであればクラス変更ができる。

今日一緒に授業を受けた人は、上のクラスに移っていく人が多かった。

中国語をずっとやっている人からすると、まどろっこしくてつまらないらしい。

クラスメートに、「君はなぜこのクラスを受けるの?」と聞かれ、答えに詰まった。

英語でうまく説明できるかわからなかったが、クイ先生に相談してみた。

クイ先生は丁寧に教えてくれた。

日本人は、きちんと発音ができない人が多い。逆に、文法はすぐに覚えられる。最終的にやることは同じになのだから、今のままの方が良いのではないか、とのことだった。

遠回りのようだが、今のクラスで頑張ることにした。

(追記:後日、一つ上のクラスに移った。)

初めての中国語会話

宿題をするために、テキストに付属しているリスニングCDを再生したものの、全く音が出ない。

困った。これでは宿題ができない。

北京にいる日本人の友人にメールし、パソコンでCDを取り込ませてくれるように頼んだところ、嫌がることもなく引き受けてくれ、何とか事なきを得た。

CDが再生できなかったのは、音楽用CDではなく、データが入ったCD-ROMだったのが原因だった。

いざというときに頼る人がいるのは、非常にありがたいことだ。


北京語言大学の学食

データを取り込んだ後、二人で北京語言大学の食堂に食事に行き、今まで行ったことがない4階のフロアに初めて足を踏み入れた。

食堂は階が上がるごとに豪華になり、4階はレストラン並だ。

お腹いっぱい食べて、二人で750元。

語学を学ぶ身として、日本人同士で仲良くするのは良くないのかもしれないが、仲のいい友人と旅行に来ているような感覚だ。

笑いが絶えなかった。

友人は、中国語は使ってみることが大切だと言い、帰り際、私に「お会計をお願いします」という言葉を教え、早速ここで使ってみろという。

私は店員を呼ぶと、彼に教えてもらった言葉を言ってみた。

「ジエジャン!」

すると、店員がそれを繰り返し、奥のレジに向かって大声で叫んだ。

「ジ~エ、ジャ~ン!」

自分の言葉が通じた!!

中国人に中国語で話しかけるのは生まれて初めての経験だったが、自分だってやればできるじゃないか。そうだ、この調子だ!

私が一人で感動していたところ、そばにいた店員と、奥にいる2人の店員が、堰を切ったように大爆笑し始めた。

奥にいた店員が笑いながら、「そんな発音じゃ普通は聞き取れないよ!」と英語で教えてくれた。

こうして、私が最初に使った中国語は、一笑に付されて終わったのだが、やる気がふつふつと湧いてきた。

【留学10日目】3月5日 留学生との交流

日本語を学習する学生

図書館に並べられた傘
雨の日の図書館のロビー

食堂は、朝7時に開くとすぐに大混雑になる。

最近は午前7時半までに食堂で食事を済ませ、授業開始の午前8時まで、教室か図書館にいるようにしている。

図書館が午前7時に開くというのは非常に良心的だ。

今日図書館に行くと、中国人の学生がロビーでスピーキングの練習をしている声が聞こえてきた。

7、8人くらいの学生が、思い思いに大きな声で英語の朗読をしている。私も紛れて、ロビーのベンチに座って本を読むことにした。

しばらくすると、横に色白の女の子が来て、日本語を朗読し始めたのでびっくりした。

首相がどうこう、GDPがどうこうと、非常に高度な内容を朗読している。しばらくすると、北海道で、男性が自宅から200メートルのところで倒れていたと話し出した。

なるほど。NHKのニュースのシャドーイングをしているのか。

それにしても、きれいな発音だ。

友達になって中国語の練習をさせてもらいたいけれども、まだ話しかけるだけの語学力がない。また会えるといいな。

友人にムスリム料理をご馳走になる

学食のムスリム料理

毎日、ウズベキスタン人とカザフスタン人の友人と食事をしている。クラスは違うのだが、何となく気が合う。

カザフスタン人の友人は、普段はあまり話さないのだが、今日は非常にテンションが高く、みんなにムスリム料理をご馳走してくれた。

全部で150元ほどしたから、結構なご馳走だ。

明日は一緒に寿司を食べに行くことになった。お金足りるかな。

【留学11日目】3月6日 クラスを変更する

昼休みに寿司を食べに行く

ウズベキスタン、カザフスタン人、アメリカ人の友人と一緒に寿司を食べに行った。

一時間しかない昼休みに、急ぎ足で校内にある寿司屋に向かう。

注文するときに、カザフスタン人の友人から「ASAHI」を飲むかと聞かれた。「ASAHI」とはアサヒビールのことだろう。

カザフスタン人の友人がアサヒビールを知っていたのでびっくりした。

昼休みだったので躊躇したが、少しだけ飲もうと思って、「飲む」と答えたところ、しばらくして、予想に反して大瓶が4本運ばれてきた。

昼休みに飲むとか、まるで大学生のようだ。

寿司は、日本に比べるとそこまでおいしくなかったが、カリフォルニアロールをはじめ、おおむね良好。寿司や味噌汁など、日本の話で盛り上がった。

「次の時間寝るわ-」と言いながら赤い顔で教室に向かう。

少し遅刻したのはご愛敬。

大学生に戻ったような楽しい一日だった。

日本で買った単語カード

キャンパスの単語カード
日本から持ってきたコクヨの単語カード。五道口駅付近の文房具店にも似たようなものが売ってあった。

私は、大学受験の頃からキャンパスの単語カードを愛用しており、中国に来るときに、大量の単語カードを持ってきていた。

教室で、机の上に単語カードを置いていたら、クラスメートが集まってきて机を取り囲んだ。

興味深そうに単語カードを手に取り、「どこで買ったの?」と尋ねてくる。

「日本」と答えると、

「日本かー」と、周りからため息がもれた。

中国ではなかなか売っていないと聞いていたが、他の国にもないみたいだ。

自分だけ新しい文房具を持っている小学生みたい。

ちょっと得意になった(笑)

漢字の授業

北京語言大学HSKセンター

一番下のクラスに入っていると、漢字のクラスが週に1回あり、漢字の練習帳を授業で使う。日本では小学生が使うような本で、最初は手本をなぞり、あとは四角のマスに自分で書いていく。

さすがにこの授業だけは退屈した。

授業で、簡体字の「竜」の文字が出てきて、アメリカ人のクラスメートが、難しい方の竜の文字を知りたいと質問する。

先生は繁体字の龍を知らなかったため、なぜか私が呼ばれて黒板に龍の文字を書くことになった。

昔練習していてよかった。何事も無駄にならないものだ。

授業後に先生から、君は日本人で漢字ができるから、練習帳にはわからない文字だけを書けばいいと言われ、宿題を免除された。

最後の最後でクラスを変更

教3楼の教室

今日は、クラスを変更できる最後の日だった。

私は一番下のクラスで頑張るつもりだったが、先生に勧められ、急遽下から2番目のクラスに移ることになった。

前のクラスの人に別れを告げる間もなく、黙ってクラスを変えたので申し訳ない。一週間一緒に勉強して、毎日顔を合わせていた仲間と離ればなれになるのは寂しい。

クラスが代わった途端に、教師の英語が聞き取りにくくなった。また、陽気なアメリカ人が数人いて、マシンガンのような会話が英語で繰り広げられている。

うまくやっていけるか心配だったが、休み時間ごとに新しいクラスメートが話しかけてきてくれたのが嬉しかった。

クラスメートは、アメリカ、フランス、イタリア、ポルトガル、マレーシア、インドネシア、タイ、韓国から来ており、とても国際的だ。

幸運なことに、日本人は私だけだった。

私は、少なくとも大学内では、日本人とつるまない、日本語を話さないと心に決めていた。


前のクラスは遅刻に寛容だったが、今度のクラスは、遅刻すると歌を歌わされる。

インドネシア人のクラスメートが私に、「君が遅刻したらドラえもんを歌ってね」と頼んできた。

インドネシアではドラえもんが有名なのか。

話を聞くと、仮面ライダーも見ていたらしい。

寮に帰って、YouTubeを見ながらドラえもんの歌の練習をした(笑)

中国に来て、ドラえもんの歌を練習するとは思っていなかった。

海外の留学生は、私が思っている以上に日本の文化を知っている。

先日、クラスメートが私にマンガの話を振ってくれたのだが、私は全くついていくことができず、横にいたスイス人とインドネシア人がワンピースとナルトの話で盛り上がっていた。

日本にいるときに読んでおけば良かった。

【留学12日目】3月7日 授業でカンフーを観に行く

カンフーを観に行く

カンフー
カンフーのパンフレット

授業の一環として、カンフーを観に行った。

午前中に知り合ったばかりの韓国人のクラスメートと一緒にバスに乗る。

彼は、日本の政治は嫌いだが、文化は大好きだと言い、日本のドラマや文化について本当に詳しい。

会話が弾み、これまでの経歴や将来のこと、日中関係や竹島、アメリカとの関係についても話した。

こんなに早い段階で、竹島の話が出てくるとは思わなかった。

一時間があっという間に過ぎた。彼とはいい友達になりそうだ。

カンフーもなかなかおもしろかった。外国人向けのようで、英語で話してくれるところが心憎い。

顔の油膜

北京語言大学の学食

東京にいる頃は、洗顔剤で顔を洗うと肌がカサカサになっていたのだが、最近は肌がカサカサにならないことに気がついた。

北京の方が乾燥しているにもかかわらずだ。

おそらく、油分が多い中華料理ばかりを食べているので、身体から油分が染み出ているのだろう。

以前、ポテトチップスを10袋食べて寝ると、翌朝顔が油だらけになるという話を聞いたことがあるが、同じような原理なのかもしれない。

中華料理は、寒くて乾燥した風土に合った、合理的なものなのだと思う。

【留学13日目】3月8日 いきなり竹島の話題を振られる

朝の日課

中華料理には生野菜がなく、野菜ジュースを飲みたい気分なのだが、適当なものが見つからない。

代わりという訳ではないが、毎朝ヤクルトを飲み、ヨーグルトを食べ、その後食堂に行ってパンのようなものを食べている。

食後は、図書館のロビーで時間を潰す。

今日は、いつも定位置で日本語を勉強している女の子がいない。

・・・と思ったら、近くで英語の文章を朗読していた女の子が、突然日本語を話し始めた。

「我々は、共産主義をすすめ、中長期の発展を目指し…」

なんと、日本語の教科書の内容も共産主義についてなのか。

ポルトガル人の美女

クラスに、目を見張るほどきれいなポルトガル人の美女がいる。

NHKテレビの外国語講座に出てくるレベルの美人。

今日は彼女とペアになって会話の練習をしたのだが、非現実的な時間だった。

友人に、彼女と仲良くなりたいなあと話したら、日本人がヨーロッパ人を落とした例はいまだ聞いたことがないと一蹴された。

(追記:後に、そのポルトガル人の絶世美女にキスされる。詳細は後述。)

ドクトは日本のものか、韓国のものか

教3楼の教室

教室に世界地図が張ってあるのだが、誰が書いたのか、竹島のところに手書きでドクトと書き加えてある。

今日、アメリカ人のクラスメートが私と韓国人のクラスメートを呼んで、「ドクトは日本のものか、韓国のものか」と尋ねてきた。

一瞬どっきりする。

韓国人のクラスメートは、自分の意見を淡々と述べたが、私は曖昧にお茶を濁してしまった。

夜、日本から来ている官僚の友人と食事をしたので、そのことを話したら、「何をやっているんだ、きちんと日本の立場を主張しないとダメじゃないか!」と叱られた。

海外に出るときは、日本のことをよく知っておく必要があると感じた。

帰り際に友人から、大学の勉強にかかりっきりになると力が伸びないので、語学学校に行くこと、中国人の友達をたくさん作ることを勧められた。

【留学14日目】3月9日 週末はひたすら勉強する

週末の過ごし方

今日は土曜日なので授業は休み。部屋に籠もって、合計13時間くらい勉強していた。

こんなに勉強したのは大学受験以来だ。

お得な国際電話

3Mのマスク
日本から持ってきた3Mのマスク

知り合いから、日本から安く国際電話をかける方法を教えてもらった。最初に15秒間の広告が流れるだけで、後は国内料金で電話がかけられる。

日本にいる家族にメールでかけ方を伝えたところ、夜に電話がかかってきた。北京に来てから2週間。初めて家族の声を聞いた。

家族には、大学の状況や生活環境(大気汚染がひどい日は10メートル先がかすんで見えることや、毎朝アメリカ大使館が発表する大気汚染指数を確認してマスクのレベルを選んでいること、マスクを着ける中国人がほとんどいないこと)を話した。

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